牟礼町でとれる花崗岩は良質で全国的に「庵治石」の名で知られています。 『庵治石』という名前は牟礼町でとれた石の積出港が庵治にあったため『庵治石』と呼ばれるようになりました。(庵治町でも採石はされています) 特徴としては構成鉱物の結晶が極めて小さく、結合が緻密なため他地域の花崗岩に比較してもより硬いのが特徴です。二百年は彫られた字が崩れたり、赤茶色に変色したり、艶が無くなったりしないといわれています。
石材という観点から花崗岩は細目(こまめ)、中目(ちゅうめ)、荒目(あらめ)と分類され、庵治石は細目と中目に分類されています。この『庵治石』の最大の特徴は「斑(ふ)」または「ぼたん」と呼ばれる現象でよく研磨した石表面に黒雲母が特に緻密に入り、まだらな地模様に濃淡が出ることで、世界中の石材の中でも類が無いことにあります。 この希少性、特質から、石材の単価としては世界一と評価されています。
石の民俗資料館HP(http://www.isi.mure.kagawa.jp/)により詳しい説明があります。
牟礼町にはこの庵治石と400年に渡って深く関わってきた歴史があります。採石する丁場、石加工する工場、そこに築き上げられた匠の職人達の技など、ここ牟礼町でしか見られない『石の文化』があります。 その雰囲気を少しでも伝えられればと思い、このページを作りました。
八栗駅をおりると、何処からともなく「カン、カン、カン」と石をたたく音。 そして目の前には石を切り出す母なる山。 400年に渡って石と向かい合ってきた町です。 落ちついた、ゆっくりとした時間が石を打つ音とともに過ぎています。
昔、どこかの町で見たような町並みが、頭上の母なる山に見守られながら、今の時間の中でたたずんでいました。
確かにそこには時間がとどまる異空間がありました。 あくまでも自分のスタイルを崩さない、頑固さがこの町にはあるのでしょうか。 自分の腕を、技術を競い合う石の匠達の、静かな静かな戦場なのでしょう。
200メートルばかり歩いたでしょうか、ふと気付くと路地の周りは石の工場がずらりと並んでいました。 男達は長い間この地で石と戦ってきたのでしょう。この町は町全体でその喜びと苦難の歴史を語ってくれます。
成功したもの、志し半ばに倒れていったもの。 石切の音の中に、この地に生きた人々の姿が蘇るようです。
無造作に石の彫刻が散乱しています。 作者自身の力量を誇示するかのように、余りにも無造作に無数の彫刻達が並んでいます。 もの言わぬ石像が道行く人に饒舌に語りかけてきます。 一歩あるく度に、目を移す度に、その声はゆっくりと心に入ってきます。
彼等もこの母なる土地を、山を、やがて離れていく時がやってくる。 その時彼等は何を語ってくれるのでしょう。
すべての路地は母なる山へと続きます。 男達は何を考えこの道を歩いていたのか、笑い声が聞こえる、怒鳴る声が聞こえる。 そして、いつも山はそこにいました。
男達のその時々の感情を山が見つめて、時代が過ぎていきました。
かつて歴史は、この石の町で動いた。 争乱のざわめきは、今は静けさにかわってしまった。
今、聞こえるのは石を切る音、石を打つ音。 目に見える風景は、何処までも穏やかで、何処までも懐かしい。