「源平」と「石の里」イメージ
源平史跡の今昔

〜明治・大正・昭和(戦前)〜


明治30年頃の洲崎寺
雄大な松が生い茂っていました。

明治30年頃の洲崎寺
100年前はたんぼのまんなかにありました。建物の配置は今と変わりません。

明治30年頃の総門と射落畠
八栗駅から庵治への街道ができたとき総門は西に数10m移設されています。


明治30年頃の総門と射落畠
当時は建物がなく屋島が近くに見えます。


昭和初期の総門
明治36年に牟礼保勝会により総門碑、明治42年に久保不如帰の句碑が建立されました。


大正時代の六万寺
合戦当時、六万寺は壮大な勢力を誇っていました。現在の六万寺は、広大な境内の中にあった鎮守「愛宕社」の社跡です。現在と比べると、参道が異なり、奥の山林は住宅に変わっています。


戦前の祈り岩
近所の子供たちがこの岩にはしごをかけて遊んだそうです。今は道路が高くなり、石が沈んだようになりました。
石碑の字は高松藩主 松平頼重公のものです


戦前の駒立岩


相引川より五剣山を望む
義経の弓流しは海の中です。合戦当時は川でなく海でした。
この橋はたかばし(高橋)といいます。昭和21年の南海地震により崩落し、現在の橋に架け替えられました。えんとつは塩を精製するための窯のものです。


射落畠
昭和6年に改修されてこのようになりました。改修直後の写真です。

昭和初期の長刀泉
たんぼの真ん中にありました。今は塀に囲まれています。

昭和12年頃の菜切地蔵
現在は住宅地の中にあります。

昭和12年頃の安徳神社

昭和12年頃の菊王丸の墓
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